あなたに愛言葉届くかな
※これは、安田くんに起こったこと、自分の感じたことを記録していた文章です。8月ごろかなぁ…途中まで書いて、まとまらなくて、頭の中ぐちゃぐちゃになって、結局アップしなかった記事です。
読み返してみると、割と時系列で自分に分かりやすいように書いていたので、本当に自分の記録のためだけにあげます。途中で切れてるけど、気にしないでください。
怒涛の数ヶ月。
たくさん泣いてたくさん苦しんで、関ジャニ∞がいろんな人に愛されていることを知り、たくさん関ジャニ∞からの愛情や誠実さかっこよさを感じ、応援し続けようと強く思ってるけどやっぱりさみしいなと感じている現在。
いろいろありすぎて、ここに書こうとしたけどまとまらなくて、ツイッターにまとまりのない文章を吐き出すという日々でした。
下書きにはそのまとまらないままの文章がいくつもあって、感情の起伏もとても激しいので、下書きどまりで封印しようと思っている。
今日はいろいろあったけども、わたしの大好きな自担、安田くんのことについて記録のために書こうと思う。
すばるくんの会見の日、混乱しながら見たホームページに書かれた安田くんの言葉は、
「今まで共に走れて最高でした、倍々!」
でした。前向きな言葉を目にし、そんなはずない悲しいに決まっていると思った。
会見が始まってみると、安田くんはそこにいませんでした。
自宅で転倒し、背中を強打して欠席というアナウンスがありました。
後々判明する衝撃的な事実のことなどつゆ知らず、こんな大事な日に安田くんらしいなぁ、なんて少し思ったりしてしまって。でもそのくらい、渋谷すばる退所、という事実がとても重くて苦しくて悲しくて、安田くんらしいなんて思うのはどこかに安心感を求めていたのかもしれないなぁと今となっては思います。
会見が終わって、ひとりで泣いているうちに、だんだんと安田くんのことが心配になってきました。
家で倒れるってどういう状況なんだ?座っているだけの会見に出られないほどの背中の強打ってなんなんだろう?結構ひどい状態なんじゃないのかなと。
だけど、彼等が伝えてくれることしか分からないから、転倒なんてそんな簡単にするわけないし髪型も黒髪短髪だからまだ公にできない映画の撮影とかで家で稽古でもしてて倒れたのかなぁとか、そんなことを憶測していたりした。やすくんが教えてくれたあの日まで、きっとそうだと甘い考えをしていた。
そこから安田くんは、いつも通りのレンジャーを更新してくれた。会見に出られなかったことにも少しだけ触れてすばるくんのことを書いてくれた。海に行きたいと書いてくれて、連れて行ってあげたいと思った。BABYに至る最初のアイデアは自分だと教えてくれて、その発想力すごいなと思った。焼き鳥のデリバリーの話もあったなぁ、大食いだと思ってることに少し笑った。犬と寝ている話を見た時は、安田くんのうちの犬になりたいと思ったりした。いつも通りの、かわいくてちょっとクレイジーな安田くんがそこにはいた。
少しだけ、「そんな考えを理解し合える数少ない仲間たち」という表現に違和感を感じた。安田くんは、たくさんの仲間に囲まれていると思っていたから。
その間に、7人で最後の番組がいろいろ発表され出した。
今まで少し実感がなくてふわふわしていたので、その言葉にまた苦しくなって、悲しくなった。
6月27日
テレ東音楽祭。7人最後のパフォーマンスのスタート。この日、わたしは安田くんに何か大変なことが起こっているのではないかと不安が増した。
LIFEではいつも通りの安田くんで、7人の関ジャニ∞を見た瞬間涙が溢れてきて、泣きながら見た。
そして、その後のキングオブ男を見て、絶句した。
安田くんが全然踊ってなかった。
ほんとに、全然。あのキレのある踊りがないというか、それどころかポーズひとつひとつがぎこちなくて、時折メンバーが安田くんのことを心配そうに見ているのも分かった。
混乱した。
大丈夫、じゃなかったんだと。安田くんは全然大丈夫じゃなかったんだと思い知った。いったい、安田くんの身に何が起こっているんだと、心配になった。
7月2日、20:05
急に、メールが届いた。
「安田章大の体調に関するご報告」
背筋が凍って、鳥肌がたった。
なんでどういうこと?え、え?
そんな言葉を口にしながらサイトに進んだ。
そこには、6人の関ジャニ∞が、安田くんを囲うように整列していた。
初めて、6人だけの姿を見た。それだけでくるしかったけど、わたしは安田くんの体調のことが心配すぎて、怖くて、急いで動画をスタートさせた。
安田くんの優しい口調で、
昨年2月に脳腫瘍である髄膜腫の手術をしたこと、今年4月9日に立ちくらみで自宅で転倒して背中と腰の骨折をして会見に出られなかったことを話した。北海道では完璧なパフォーマンスができないこと、情けない弱いところを見せてごめんなさいと言った。お仕事休むことあるけど心配しないでと言っていた。
頭が真っ白になった。
信じられなかった。
良性とは言え、脳腫瘍。
その時期にも驚愕した。俺節の、たった数ヶ月前のこと。開頭手術をした数ヵ月後にあの舞台をしていた事実を知った。
そして、1年たったころに、立ちくらみ。骨折するほどの転倒ということは、意識が飛んだんだろうかと。髄膜腫、全摘出したというけど立ちくらみってその後遺症なんじゃないのかと。怖くて怖くて、震えてた。
そしてそんな大事なことを、一年以上知らずにいたことに、唖然とした。
無力だ、と思った。
何も知らなかった、何もできなかった。
その時期エイトは何をしていただろうかと、過去の自分のツイートを巡ったりした。
その日は、教えてくれたことへの安堵感よりも、その病気の事実を受け止めようとするのに必死で、気を抜くと涙がボロボロと零れた。
心配な気持ちと、手術のあとに普通に舞台やジャムコンをこなしていたこと、それに気付くことができなかったことにショックを受けていた。
7月3日の夜
4月9日以来、ずっと更新が止まっていたボク。が更新された。
やっと言える、とやすくんはたくさんたくさん教えてくれた。誠実に、全て、言えることは全部教えてくれた。
読みながら、声を出しながら泣いた。
無力なんかじゃないよ?
と、まるでわたしたちの言葉が届いてるかのように、やすくんは全て理解した上で、優しくて強い言葉をたくさんくれた。
そこからやすくんは、何度もボク。を更新してくれた。
いつも、わたしたちファンのことを考えてくれていた。いつも、強さとあたたかさで全て包み込んでくれた。
心配だけど、、これだけたくさん教えてくれたから、これだけたくさん伝えてくれたから、少しだけ気持ちが穏やかになった気がした。
やすくんは、とても強い人だ。